子供達の故郷へVOL3
『菜(ツァイ)のに家に行ってもいい?』と聞くと『いいよ!』と嬉しそうに応えてくれたのでホッ。 とても貧しい所だと聞いてたので、子供達に『皆の故郷へ行きたいんだー』と言ったら、どんなリアクションが帰ってくるのか 想像がつかなかった。 なんか、皆とても嬉しそう。 菜(ツァイ)と英(イン)の家は同じ村だという事で、今回は二人の村へ行くことにしました。
8月15日(日)小雨、馮金国の手配してくれた車が電力賓館へ到着したのは朝7:30、朝市へ直っ行! 昨年、菜(ツァイ)と剛(ガン)が一緒に北京に来た時『もうこの子は帰ってこないかもしれない』と、泣きはらしたご両親にご挨拶に行くのだから、 先ずはおみゃーげ、おみゃーげ。 活きのいい鶏を2羽つぶしてもらい、豚肉と牛肉1kgづつ、野菜、それからそれぞれのお家にお酒(白酒)を2本、タバコを2箱づつ、 飴の大袋2袋を買込み(飴が喜ばれるらしい)。
いざしゅっぱーつ!
普段は子供達が歩く道も今日は、車で行ける所までとことん行こうぜ、という事で台江から剣河方面へ走って、途中から山道に入り 通れないだろうと思う道までも走った。 走ったというより、車1台通るのに精一杯の道、車が道を選んで進んだ。
途中、がけ崩れがあり、崩れて来た岩をブルドーザーがよけ、やっと通れる様になった砂礫質の道は、 その道さえ今にも崩れ消えてしまいそうなほど危険なもの。 雨でゆるんだ砂礫とともに車が谷底に落ちていくのではと真剣に恐怖心がよぎった。 怖い、とても怖い! 写真左下の黒っぽい部分はここから、砂礫が崩れて下まで流れていったもの。
フッー 無事、その最も危険な場所はクリアーしたけど それから僕はスッカリおとなしくなってしまったのである。 強まってきた雨に、帰る時迄果たしてさっきの道はあるかのー、 いずれきっと崩れてしまうであろうあの道に人が巻き込まれない事を 願わずにはいられなかった。 こんなに危険な道を子供達は歩いて刺繍学校まで来ている、 そしてこの道を歩いて故郷に帰っていくのだと思うととっても切なくなり、 ますます子供達をいとおしく思うのでした。 子供達と苗(ミャオ)さん達の安全を心から祈るばかりです。
1時間ちょっと進んだかな、英(イン)が『ここ!』と叫んだ。 明らかにここからは車が通れない小道が続く。 この道の先に子供達の故郷がある。 ワクワクしてきた。 いったいどんな所なのだろう。 さあ、ここからは歩いていくよー来るよー(古いっ)。故郷はもうすぐそこ!
故郷に立つ子供達はとっても生き生きしている。 空気がうみゃー、ここの風景は日本の田舎そっくり。 瑞の実家が大分だけど、大分にもこんなところがあったなー。
ここから見える田畑は菜(ツァイ)と英(イン)が手伝って田植えをし、耕したんだって。
この向こう側に彼女達の故郷がある。
歩くこと約30分。 見えた! しっとりとした緑の中に黒い甍の並みが。。。 クンクン、懐かしいとっーてもいい匂いがする。
スーハアー スーハアー 空気が甘い!
近所の子供達。 さっきまで照れてカメラを嫌がっていたのに、もうおすまししてる。
刺繍学校の生徒達も来たばっかりの時はこんな感じだったなー。
村には小学3年生迄の小さい小学校が一つあるのみ。 それすら貧しくて通えない子供がいる。
お昼は菜(ツァイ)の家に皆が集まる事になった。 英(イン)のお母さん、それから、もうお嫁に行って今は広東省に出稼ぎにいっている剛(ガン)のお母さんもみえるらしい。
水道はない。 近くに河もない。 水は雨水を貯めたものを使っている。 各部屋に裸電球がぶら下がっている。 きっと電気が大切だからだと思う、僕らがお邪魔しても電気はつかない。
そんな薄暗い部屋で菜がお父さんにグアシャーをしてあげていた。 お父さん、昨日飲み過ぎたんだって。
何故か、ドライバーが一人で料理を作ってる。 僕は高台にある菜の家から、ときどき吹き抜ける涼しい風を感じながらボッーと、 のどかな苗(ミャオ)の村を見ている。 とても心地よい。 窓の下の畑で英と新が何かをもぎとっている。 走って帰ってくると『ズオトン先生、黄瓜(キュウリ)食べて!』と差し出されたのは 確かに黄色い瓜。 へ~キュウリって本当は黄色いんだー。 だから中国語で黄瓜なんだーと、今更ながらキュウリの語源にふれる。 みんなそれをガリガリバリバリ丸かじり、 子供達のたくましさを嬉しく垣間見た。
英が生姜を取りに畑に行く時、『ズオトン先生、この村の風景も綺麗だよ。見に行かない?』 と、誘ってくれた。 新と3人で、雨の山道を傘さして歩く。『気を付けてね』と気遣ってくれる。 そして見晴らしの良い所に着くと『天気が好いと、ここからの景色は最高なんだ』と。 なんて、楽しいんだろう。 子供に戻った様だ(今だに子供でした、はいっ)。 雨の中、すべってコロリンしそうな山を駆ける。 英が枝で作物の根を掘っている。 そして、土の中で、ポキッと折って取り出すと、生姜の香りが雨でしめった山を走る。
菜のお兄さんは、上海に出稼ぎに出ていたが 『あまりにも暑いので帰ってきた』って。上海では火車(電車)駅の工事現場で働いていたけど、給料は800元/ヶ月、
残業すると1,000元ほどだったとか。日に焼けた好青年だ。
この女の子、お父さんを亡くしたので、このおばさんの家で生活している。 この子も刺繍学校に来るだろうか。
さー、料理が出来た! テーブルに並べられる。 運転手さん、ご苦労さん! ここで電気がつけられる。 ケーキ、入刀でございます♪なーんてね。 そういうことかー。 お客さんを招いて本当に必要な時だけ電気を使うんだ。
次から次へと、いろんな人が入ってきて食卓を囲む。このおじさん、寝ながら喋っているわけではない。ちょうーど目をつぶっちゃった、 ホーロー片手にやって来ました。お酒が飲めないから、MYお茶か何か持ってきたのかなーと思いきや、 なんと餅米のお酒だと。 嬉しい誤算! 1ヶ月程発酵させたこの餅米を食べるのです。 アルコール度はさほど高くないけど、食べ過ぎた時は食べすぎと飲みすぎの状態で、 それはそれは苦しいらしい。 それを知ってる馮金国はしきりに右手で払う。
後ろのおばあさんが、僕の事見て 『この人、何とかさんに似ている~』と言ったら、みんな笑ってた。 僕はいったいミャオのどんな人に似ているのだろう??? 会ってみたい。 もしかしたら、おばあちゃんの初恋の人?
こちらの女性お二人は、『みーなハーン コンニチハー!』って元気よく登場!
この二人が入って宴が一気に盛り上がる。 帰るまでずっと苗歌を歌ってくれました。 歌の内容は 『よくもまあこんな田舎まで遠路遥々おいで下さいました。又、お酒やお肉や沢山のお土産を有難う。ここには何ももてなす物はありません。 かたじけないです。』 と、大変謙虚な歌詞だ。でも歌いっぷりは決して謙虚じゃない。
この写真は英が撮ってくれたもの。 うん、上手に撮れている!
次から次へと歌、酒、歌、酒! 僕も『故郷:うーさーぎーおーいし』を歌い、逆襲するも多勢に無勢、もはやこれまで。 お客さんに酔っ払ってもらってナンボの世界です。 からだもちまへん。
そうそう、英のからだは小さいが、飯つぶよく食いますねんっっ、の謎がここで解き明かされます。 下の写真、右端でご飯の大食いしているのは、まぎれもなく英のお母さん。 そうなんです、英の大めし食らいは遺伝だったのです。(笑) カワイイッ!
さて、朝から降り続いていた雨も上がった。 あっという間の2時間が過ぎ、もう帰らなければ。
皆さんに別れを告げ、外へ出る。男達は飲み続け(ちょっと羨ましい)、女性は見送りに、お酒を持って追い駆けて来る。
そしてまた、歌を歌ってくれる。 喜んで歌を聴き、また飲んでる僕に馮金国が困ってる。 ワッハッハッハッハ。
僕が飲んでいる間に別れを惜しむ菜とお母さん。 振り向いた二人の眼は涙でいっぱいだった。
途中、英の家に寄り、お母さんが織り機に座って パチリ! おかあさん、お元気で。
さあ、帰ろう。。。
お母さん達の歌を背中で聞きながら、何度も何度も振り返り、その姿を確認します。
お母さん達の歌、まだ聞こえています。 その姿は、山に咲く白い花の様でした。 遠く離れて山から駆け下りてくる歌声は、より悲しく、より優しく心に届きます。 子供達はきっと、自分のお母さんの声をも聞き分けていたのでしょうね。
最後のまがり角を曲がったところで、突然、共有していた空気に仕切りが出来た様に、 歌は聞こえなくなりました。
帰り道、車の中、子供達は疲れてスヤスヤ。 子供達の故郷は、貧しいどころか愛情と信頼に溢れた、 僕の大好きな、苗(ミャオ)のお母さんが作ったねんねこ(背帯)の様でした。 子供達は、そんなねんねこから飛び出し、一人の人間として頑張ってる。もちろん、多くの方々に支えられて。
僕は途中で凱里行きのバスに乗り換え、子供達と別れます。 バスがせかすので、ゆっくりお別れができませんでしたが、 菜が最後に一言 『うちに来てくれてありがとう。』って。
今回の『子供達の故郷へ』の旅は終わりました。 短い旅だったけど、沢山の素敵な出会いがあり、 多くの課題にも直面できた、とてもいい旅でした。 この旅は始まったばかり、そんな気がしています。 by 雅