新の置手紙
冬の深い寒さに包まれていた台江も菜の花が咲き始め、春の香りが苗(ミャオ)さん達の表情を和らげます。 でも、僕らの心はまだ春にはなりきれないでいた。。。
刺繍学校で一番年長だった新が、置手紙を残して学校を去りました。 手紙には・・・
『今まで大変お世話になりました。 ここまで育てて下さって本当に有難うございました。 お陰で私も大きくなりましたので、この機会を今度は小さい妹達に譲るべきだと思います。』という内容でした。
馮金国から『2日前、新が置手紙をして去った。 新の事だから、冗談ではないかと思っていたので、 様子を見ていたが、子供達の話では本当に去ったようだ』と、2006年2月16日電話があった。声が出なかった。
子供達の中で、ムードメーカーだった新、新がいるといつも刺繍班がとても明るかった。
新しい展開(新しい展開 VOL.1~4)で、子供達を学校に通わせる様にしたのは昨年(2005年)の春節明け、ちょうど1年前。 刺繍学校で刺繍以外に、一般の学校と同じ様な科目の授業を子供達に受けさせていたが、本当に彼女達の為になる 授業が出来ているのか疑問で、やはり教育は公立の学校に任せ様という事で、子供達とも相談した。
榜(バン)はもう大きいので学校へ行かないと言い、その後苗族の男性と結婚して今上海で幸せに暮らしている。
他の皆、もちろん自分達より小さい子供達と授業を受ける事に大きな心配を抱えながらも、不安と期待を胸に、 馮金国のはからいで菜、新は5年生、祝英は1年生、紅春は6年生として特別に小学校へ通い始めた。 とても勉強好きで、彼女の目が僕らに子供達を学校へ通わせようと決心させたと言っても過言ではない祝英。 しかし、彼女はすぐに小学校を辞め、実家に帰ってしまった。。。 学校へ行ける様になった事を喜んでくれていると 思っていたので、ショックだった。 その彼女も最近結婚した様だ。
その後、菜、新も頑張ったけれども授業についていけない、と学校を辞める事に。 そして、菜が北京へ来てM’sを手伝い、 結局、学校に残ったのは紅春だけ。 紅春は、昨年無事、中学校に進学した。
その後、無料で学校へ通えるという事で、又、ご協力頂いている皆様のお陰様で、次々と新しい子供達が入って来て、 結局10人の子供達の内、学校へ行っていないのは新だけだった。
明るく振舞ってはいても、一番年上、しかも学校に通っていない。 もしかしたら何か居ずらさを感じていたのかもしれない。 僕らが新の気持ちをしっかりと把握出来ていれば、新の居場所を作ってあげる事が出来、もっと長くいられる事が出来た かもしれないとも思う。
しかし、新は新なりに考え決断した事、多分、学校へ行きたくても行けない小さい子供に彼女の切符を譲るべき、と 思ったんだね。 新、あなたは本当に偉いよ。 僕らはこの新の行動を真摯に受け止めたい。 又、置手紙を置いていってくれた事も、 せめてもの救いだった。
今までにも何人もの子供達が刺繍学校に入って一緒の時を過ごし、いつの間にかいなくなった。 後で聞いてみると 結婚したらしいとか、広州へ出稼ぎに行ったらしいとか。 そんな時、いったい僕らがやっている事は何なのだろう、と 思ってしまう。 せっかく刺繍を覚えた子供達が黙って出て行ってしまう。 寂しすぎる。 切な過ぎる。 何か一言あっても良さそうなものなのに。。。
でも、吹っ切れた。 苗(ミャオ)の世界には苗の生き方がある。 それが今のこの時代に本当にマッチしているのかどうかは分からない 。ただ、分かるのは彼女達、一番に家族の事を考え、今、最良と思われる方法を選ぶ、という事。
いいじゃないか。 若い苗が出来なくなってしまったこの苗刺繍を刺繍学校に来た苗の子供達は、少なくとも簡単な 苗刺繍を習得して出て行く。 少しでも多くの子供が苗刺繍に触れ、苗DNAを感じ、刺繍学校を離れても、いつか 何処かで誰かの為に刺繍をしてくれたら、僕らとしては本望だ。 10年後、20年後かもしれない、見る事は出来ないかも しれない、でも、何処かでこの活動が活き、小さな蕾をつける事を信じよう、と。
しかし、伝統工芸は生活の中で使われ続けなければ、継承する事はとても難しいと思う。 かつて苗の女性達は子供の頃から刺繍にいそしんでいたが、今は勉強しなければいけないので刺繍を刺す時間などない。 服も買ってくればそれで済む。 わざわざ時間を掛けて作る必要もない。 ねんねこだって、今は機械刺繍のものが沢山出回っていて、それを買えば事は済む。
生活の中で使われなくなれば、残された生き残りの道は、外の人々に受け入れられる事。 受け入れられる為には、売れなければいけない。 売れないものを伝統だからと、いくら作っても伝統の継承は難しい。 外の人々に売れる事で伝統が生き残り、そしていつか苗自身が、その苗刺繍の素晴らしさに気付いた時、本当の意味で苗の伝統が息を吹き返すのだと思う。 もしかしたら、その事にいち早く気付くのは、ラオスからアメリカやカナダ、フランスへ移住して行った苗の末裔、モン族の人達なのかもしれない。。。
新はもう二十歳、お年頃でもある。 とても快活な性格なのできっと素敵な旦那さんを見付け、子供の為に刺繍を刺し、幸せに暮らしてくれると信じています。
もしかしたら、学校へ行けない子供はちょうどこの新の時代迄なのかも。 今回の全人代(日本の国会)でも特に農村の発展
が取り上げられ、農村の納税(年貢)の廃止、そして義務教育費の免除というものが、一斉にとはいかないだろうが、徐々に
具体的に実現されていく様だ。 それによって、禾苗刺繍学校の形も少しずつ変化していくのかもしれない。
ここで、新の開けた大きな穴を埋めるべく、新しい仲間が一人加わりました! ご紹介致します。
毛江梅(マオジャンメイ)、小学校5年生。 お母さんは木彫り職人、お父さんは建設業、しかし家計がとても苦しいという事で
仲間に入りました。 新同様、何卒宜しくお願い致します。