すべての記事苗族

苗(ミャオ)族の文字 !? 

 そもそも苗族は黄河流域に住んでいたのですが、約5000年前、寒冷化という気象変動により漢民族の南下が始まり、その漢民族との戦いに敗れ、4000年程前から長江流域に移り住んでおりました。 

しかし、またしても秦の始皇帝、統一戦争の圧力に屈し、更に南遷し、一部は貴州省や雲南省等条件の悪い山岳地域へと移り住み、一部は長江を舟で下り、台湾、日本へ辿り着き稲作文化を伝え、弥生時代をもたらしたという説が、長江文明を研究されてみえる学者の方から発表されており、もしそれが正しいとすると苗族と日本人は兄弟の関係という事になりそうです。

その後、更に清朝時代、漢民族の迫害から一部の苗(ミャオ)は必死の思いでインドシナ、ベトナム、ラオス、更にタイへと逃れて行き、そちらでは、モン(HMONG)族(自由の民)という民族として分類されております。 つまりモン族はミャオ族の末裔にあたります。

この話は、あまり知られてない様ですがインドシナへにげ逃れた山の民、モン族、特にラオスのモン族はインドシナ戦争の際、フランス軍、アメリカ軍に山を知り尽くしたゲリラとして借り出され、戦後アメリカ軍が去ったあと、置き去りにされたモンの人々はベトナム等からの迫害、拷問を受け、逃げ場を失っていた彼らに救いの手を差し伸べたのが、戦争中、大いに彼らを利用したアメリカやフランスなどで、現在アメリカには16万人のモン族が、そしてその他、カナダ、フランス、オーストラリアなどでも多くのモン族が生活しているそうです。 

このように民族の歴史をみましても常に迫害、戦いの渦中にいた苗(ミャオ)族ですが、苗族は文字を持たない民族として有名です。 文字を持たない民族、だからこそ、その歴史、文化が刺繍に刺し込められ、歴史と文化を着る民族と言われています。

ただ、こんな言い伝えを聞いたことがあります。 

・・・むかーしむかしのことじゃった。 元々、苗族は独自の文字を持っていた。 けれどもその文字を使うと、苗族だという事が分かってしまう。そこで、漢民族からの迫害を恐れ、水牛の皮に苗の文字を書いて、火で炙って皆で食べてしまった。 そして、それ以来、苗の文字を封印してしまった、と。 

と、言う事は元々文字を持っていた???そんあ、ある日、苗の友人が、一枚の施洞という地域の苗衣を私の所に持って来てくれました。何か、ちょっと他の服とは雰囲気が違う様な。。。

施洞の民族衣装
施洞の民族衣装

その友人曰く、この服を譲ってくれた苗のお爺さんが『これが苗の文字、代々我が家に伝えられて来た』と言ってたと。。。確かに、文字らしきものが刺繍で刺されている。 

袖部刺繍
袖部刺繍

一体、これがあの水牛の皮に苗の文字を書いて、火で炙って皆で食べてしまった、その文字なのでしょうか。。。

 

詳しい方!どなたか、教えて下さい。