2004年姉妹節
96年から貴州に通い、早8年。。。実に!今回、初めてお祭りの期間に居合わせるという幸運に恵まれました♪
施洞の老屯山が起源とされる「姉妹節」のお祭りです。 かつての若者は家から離れた田畑や山々で、それぞれがちれじれに働き暮らしていた環境の中、出会いの場もチャンスもなかった男女、唯一の社交の場、出会いの場とされた「姉妹節」。
その昔、苗(ミャオ)の娘は6歳になれば皆針を持ち、自分の花嫁衣裳・将来出会うであろう愛しい人へ捧げる花帯・そして生まれてくる我が子の為のおくるみや負ぶい紐・更には孫の為・・・と、全て自らの手で作り出していた。
これは女として生まれて来てこそのたしなみだった。そして刺繍の技が高ければ高いほど認められ、尊敬を集めた。
平たく言えば、「もてた」 のである。だから?皆一生懸命に力を注いだ。そして、その成果を公に披露する絶好の機会となったのがこの姉妹節だったのです。
更にこのお祭りを一層華やかに彩るのが銀飾り。財をなせば銀に変えていたという苗(ミャオ)の人々。
自分が丹精込めて作り上げた衣装、その上に家の財、全てをこの日とばかりに綴じ付け、絢爛豪華な祭りの装束となるのです。
その姿を見れば一目瞭然、どの子の刺繍が1番上手いか!・・・その心は、忍耐を要する良い仕事が出来る=良い娘。という方程式です。
合わせて経済状況も分かる(痛いっ)という訳。年に1度の華やいだ祭りには16歳からの未婚女性が参加した。っと。
時は流れ。。。若者は現金収入を求め村を出、町へ出稼ぎへ。そもそも売る為のものではない刺繍。限りのない時間や労力を費やす刺繍をする娘はいなくなり・・・2004年の姉妹節は、?娘の出会いの場????と突っ込みたくなる、おばぁの群れ(失礼)羽織る衣装の刺繍も全て新しく祭り用に作られた既製品の新刺繍ばかりが目立ち・・・。中には機械刺繍のものも!!(驚き!!)それに変ってというべきか、銀飾りばかりは豪華に贅沢になり、それはそれは見事でした。銀に関してのみ言えば、かつてはここまで豪華なものを所有する家は少なかった、と苗の友人はもらしておりました。観光地化が進み、ご多分にもれずここもしっかり観光化されてしまったお祭りとはいえ、一同に集う苗(ミャオ)の人々、それはそれは大迫力でした。